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文化分解

デザインの世界でひたすら走り続け、気がつけば恐ろしや早くも三十有余年にもなる。文化と経済は車の両輪と云われながらも、わが日本では文化は未だに経済の脇役に甘んじ、心の豊かさや生活の潤いは暗中模索の只中にいる。このプログでは、少々の脱線は予測されるものの、文化を基軸にしたものにしていきたい。
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記憶の入った引き出し
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    先日、松下電器在職中に仕入れ先の営業責任者であったMさんに24年ぶりに再会した。2年ほど前に私のオフィスに電話をかけてきていただいたものの、その時は多忙な時期と重なり、そして、いつしかお会いするタイミングを逸してしまっていた。その時の後悔もあって、2年前から交わすようになった年賀状に、ぜひ今年こそお会いしたいとの一言のメッセージを出したところ、すぐさま応えていただけた。
    私は、妻に言わせればすぐに忘れるタイプ。確かにそうだ。幼稚園時代はおろか小学校、中学校時代もほとんど覚えていない。ずっと下って、松下電器時代も同じ職場であった人たちの顔はおぼろげながら思い出せるのにその名前が出て来ない。逆に名前は覚えていても顔がまったく思い出せない。かなりの重傷た。ところが24年ぶりに再会したMさんとの思い出話に華が咲くと、不思議や不思議、会話を交わすうちに次から次へと忘れていた人の名はもちろん、あの時、こうなってこうしたとか、やたら詳細なことまで思い出してしまったのである。そういえば、あるテレビ番組で、人が歩んできた記憶は脳のある部分の引き出しにちゃんとしまってあるのだが、歳とともにその引き出しを見つけることができなくなってしまう。そこに何らかの刺激を与えてやると、その引き出しを見つけられるバイパスができ上がるとかなんとか。今回の終電車にまで乗り遅れてしまった5時間以上にもおよぶ会話は、その引き出しを次から次に開ける大きな刺激となったに違いない。
    最近、巷では同窓会流行りとか。ご多分にもれず、わが愛知県立瑞陵高校の同期もその同窓会にはまっている。高校卒業以来の再会は、まさに前述のごとく、忘れてしまっていた引き出しを開けて中身を久々に見せてくれる機会を与えてくれるのだ。
    ボケ封じにこれほどの特効薬はないかも。これからのセカンドライフでは部屋に閉じこもらず、大いに外出し、会話をすることが大事なことに違いない。



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