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文化分解

デザインの世界でひたすら走り続け、気がつけば恐ろしや早くも三十有余年にもなる。文化と経済は車の両輪と云われながらも、わが日本では文化は未だに経済の脇役に甘んじ、心の豊かさや生活の潤いは暗中模索の只中にいる。このプログでは、少々の脱線は予測されるものの、文化を基軸にしたものにしていきたい。
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惜別の水曜日
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    そういう歳になったと言われればそれまでだが、それにしてもこの年末から年始にかけては、知己の不幸が信じられないほどに続く慟哭の日々となり、正月気分は元旦のみと惨憺たるものとなってしまった。

    1月2日(水)、50歳半ばにして一人の高校同期の友人が亡くなった。彼はコダックでの東京勤務時代に大腸がんを患い、手術後にやむなく退社し、自宅のある奈良・生駒の地で療養していた。同窓有志の助言もあって、関西での同窓会を立ち上げることとなり私と二人して発起人となり、幹事となって、思い出づくりの集まりをはじめたばかりであった。告別式で棺に納まった彼の顔の表情が、心なしか同窓会の最中に見せる穏やかな顔であったことが、暗く沈んだ私へのせめてもの慰めになった。思い起こせば、亡くなる前日の元旦に彼から届いた年賀状の無言のメッセージが、最後の言葉であった。年末ギリギリに出した私の年賀状を手にすることなく。
    続いて、ちょうど一週間後の9日(水)、20数年来、デザインの仕事で一番信頼できるフォトグラファーが忽然と逝ってしまった。奥様から故人の遺志により家族だけで密葬を済ませましたとの一通の葉書が舞い込み心を強く打った。モデル撮影、料理撮影、小物の撮影などなど。私と感性が不思議と合って安心して任せられた。振り返れば、いろいろな撮影シーンが次々とよみがえる。昨年の春に、会社案内の制作の仕事で一緒に大阪市内のビル群を撮影して回ったことが最後の仕事となってしまった。
    さらに一週間後の16日、しかもまた同じ水曜日。今度は愛知県立芸術大学在学中に、小柄でありながら、男性教師陣を後ろに従え、風を切るがごとく颯爽と学園内を闊歩されていた文化勲章受賞者で日本画家の片岡球子先生が、長命を全うされたとはいえ逝かれてしまった。最近のテレビを通しての映像からも、ますます創作意欲旺盛なパワーが感じられ、作品展があるたびに足を運び楽しみにしていたのだが、、、、、合掌。
    そんな三週連続水曜日の不幸が続いて、よもやと取り出した寒中見舞いの葉書。それは昨年12月5日に亡くなられた私の一番の恩師である小学校の担任の先生のご子息からのものであった。女性でありながら算数の先生で、厳しい先生ではあったが、なぜか私は叱られた記憶はほとんどなく、今にして思えばよくかわいがっていただいたことばかりが思い出される。卒業以来、その先生には毎年年賀状を出し続けてきた。また先生もデザインをしている私の手の込んだ賀状を楽しみしていただいたようで、喪中の年でも構わず送って欲しいと言われたものだ。だから、これ以上に多く出した相手は他に思い当たらない。そんな母親に近い存在の先生でもあった。

    はたと胸騒ぎし、まさかと思いつつ去年のカレンダーを取り出し12月5日に目をやると、何と!水曜日ではないか。
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