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文化分解

デザインの世界でひたすら走り続け、気がつけば恐ろしや早くも三十有余年にもなる。文化と経済は車の両輪と云われながらも、わが日本では文化は未だに経済の脇役に甘んじ、心の豊かさや生活の潤いは暗中模索の只中にいる。このプログでは、少々の脱線は予測されるものの、文化を基軸にしたものにしていきたい。
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山陰の小京都、津和野
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    津和野眺望

    プロローグ
    JR小郡駅を起点とし、日本海側へ抜ける山口線は、SLやまぐち号が走る鉄道として知られています。山口駅を過ぎ、いつしか山間へと入った列車はいくつものトンネルをくぐりながら、北へ北へとひた走ります。まもなく左手前方の山腹に目のさめるような朱色の稲成神社の社殿が現れ、続いて右手にお椀を伏せたような名山青野山の山容が目に入ります。津和野川にかかる鉄橋を渡ると、今回訪問の玄関口、津和野駅へと列車はすべりこみます。南北に細く長い山紫水明の町、津和野への第一歩です。

    悠久の歴史
    さかのぼることおよそ有余年。能登から津和野に着任した吉見頼行は永仁3年(1295)、築城にとりかかり、2代頼直の代に津和野城を完成させました。その後、吉見氏の治世は14代273年間も続いたとか。関ヶ原の合戦後、吉見氏に代わって藩主となった坂崎出羽守は、1代限りながら、津和野城の大改築や城下町の設営をはじめ、新田開発、水路の建設、鯉の養殖などを手掛け、津和野の礎を築いた名君とされています。坂崎氏を継いだ亀井氏も、明治維新を迎えるまでの歴代の藩主が共に産業開発と人材育成につとめ、後年、近代日本哲学の祖西周、文豪の森鴎外など多くの英才を輩出しました。現在、石垣だけが残る津和野城址へは、城山の麓から出る観光リフトを利用すれば手軽に行くことができます。本丸跡に立つと、そこには「日本のふる里」と呼ばれる美しい町並みが望めます。

    史跡と鯉
    人口わずか千百人足らずの津和野。その町中にまるで葉脈のように水路がめぐらされ、常に心地よいせせらぎが聞こえてきます。また見て余りある史跡や文化施設の多さにも驚かされます。代表的な殿町、本町の町並みを歩いてみましょう。

    歴史を解く郷土館、民俗資料館
    津和野大橋をはさんで郷土館と民俗資料館があります。散策の手はじめに2館で、津和野の歴史や民俗の知識を頭の片隅に入れておくのもよいでしょう。

    津和野大橋
    威風堂々とした郷土館には、鎌倉末期以降の郷土資料、美術品など約千点が展示されています。特に西周など先哲の遺品は、特筆すべき資料です。一方、民俗資料館は、かつて養老館とよんだ藩校の建物で、藩政時代からの津和野の生活用品が所狭しと並べられています。藩士の子弟を教えたこの館に、森鴎外や西周も学んでいます。

    殿町の水路を泳ぐ錦鯉たち
    瓦の薄墨に漆喰の白さが際だつ築地塀が、津和野ならではの景観を見せる殿町。通り沿いの幅1mほどの掘割には、よどみを知らない清流が光をはじいてゆきます。建物へ出入りする小橋がいくつもかかり、たもとには白、紅、黄色・・・。色とりどりの錦鯉が、人の気配にも動じず、水の流れに大きな体をゆったりとまかせて、何とものどかな空気を漂わせています。

    家老屋敷の面影を残す表門
    養老館と通りをはさんだ対面に、亀井家歴代の家老屋敷門が並び、かつての面影を色濃く残しています。なかでもひときわ重厚な構えが筆頭家老職の多胡(たご)家表門。門の左右に番所をそなえた格式の高い江戸中期の遺構です。続いて東隣には、同じく家老職だった大岡家表門が奥の大正期に建てられた町役場とほどよい調和を見せています。門を背景にカメラに向かってポーズをとる観光客は引っきりなしです。次は松韻亭(しょういんてい)。もと津和野藩第三家老の屋敷跡で、邸内には閑静な日本庭園が残され、地元の郷土料理が楽しめるお食事処として利用されています。

    享保年間創業の橋本本店
    隣の本町に入ると、殿町とはずいぶん町並みの趣が変わります。武家屋敷であった殿町に対し、本町は町人の街。観光客向けの店が多い中、昔ながらの造り酒屋が通りに面して3軒もあります。水が美味しく、冬寒い土地柄が酒造りを盛んにさせたのでしょう。その中、15代270年間続く橋本本店は、最も古い造り酒屋。銘柄について、この店の鳥羽筆(とばはじめ)さんは「昔は、稲露(いねのつゆ)という銘柄でしたが、名がやさしすぎるということで、祖々父が力強い名の魁龍(かいりょう)と改めた」そうで、店先に並ぶ多くのボトルの中でもひと際その存在感がありました。

    森鴎外、伊沢蘭奢ゆかりの薬屋
    寛政10年創業の伊藤博石堂は、一等丸とよぶ漢方胃腸薬を代々継承する薬屋さん。「ストレスなどで胃腸の調子が悪い場合に効き、しかも即効性のある薬です」とは、8代目利兵衛を継ぐ当主伊藤龍一郎さん。実はこの店、森鴎外や新劇女優の伊沢蘭奢と深い縁で結ばれています。森鴎外が一等丸を愛用していたこともさりながら、伊沢蘭奢については、夏木静子著作の「マダムX」で語られています。主人公の三浦シゲこと伊沢蘭奢は、松井須磨子亡き後、彗星のごとく現れた明治から大正にかけての新劇女優スター。津和野生まれの彼女が新劇界に入る前に、嫁いだ家がこの薬屋を営む伊藤家だったのです。

    鯉が群れなす吉永米店の池
    吉永米店は、一見どこにでもありそうなごく普通の米屋の店構えですが、裏手に設けられた大小2つの池には、何と500匹もの錦鯉が飼われ、地元では「鯉の米屋」として知られています。「開業は明治10年で、当時、米をつくために水を引き込んで水車を回していたことから、その水を利用して鯉を飼いはじめたようです」とご主人の吉永康男さん。観光に来られた方にお米を提供しているお礼を兼ねて、鯉を無料で公開されています。

    掘割の錦鯉

    生誕地見聞
    中心街の殿町、本町から津和野川を上っていくと、森鴎外や西周の生誕地に着きます。2人を生んだ周辺を散策しましょう。

    森鴎外の旧宅と記念館
    「雁」「高瀬舟」「山椒大夫」などの小説で知られ、文学博士であり医学博士でもあった森鴎外。端正な造りの旧宅は、文久2年(1862)の誕生から10歳で東京に上京するまでを過ごした住まいで、四畳半の鴎外の勉強部屋も残っています。隣接のモダンな記念館は、2室に分かれ、第1展示室は鴎外が上京してから60歳で生涯を閉じるまでを、第2展示室は津和野での少年期を紹介、鴎外の生きざまが浮かび上がる記念館です。この記念館から津和野川をはさんだ対岸には、鴎外と血筋のつながったわが国哲学界の先駆者西周の生家があります。

    津和野川を望む亀井温故館
    津和野川河岸の温故館には、津和野藩主を務めた亀井家が継承してきた武具、古文書、美術工芸品の数々が展示されています。特に2階に常設されている「19世紀ヨーロッパの染色デザインコレクション」は、他に類例を見ない総数1万6千点にものぼる貴重な資料で、この中から約50点が館内で紹介されています。

    石州和紙の津和野伝統工芸舎
    かつて津和野では、米の代わりに和紙を年貢にできたことから、和紙作りが盛んでした。コウゾを原料とした強靱な石州半紙は、重要な産業として藩の財政を支えたのです。その伝統を今に受け継ぐのが伝統工芸舎です。和紙作りのポイントは、「原料のコウゾを煮ること。均一な繊維を作るための煮加減が難しい」と責任者の青木高稲さん。ここでは和紙の製造工程を自由に見学できるほか、予約で和紙の葉書や色紙づくりが体験できます。

    思い出に浸れる津和野今昔館
    森鴎外旧宅の近くに左右シンメトリックな津和野今昔館があります。館長の岡村幸範さんが、時代の流れから忘れ去られていく身近な道具類に関心をもち、個人的に収集してきたものを、一般の人にも見ていただこうとオープンさせたのが今昔館です。この館の一番の特徴は、展示品に実際に触ったり、動かしたりできること。親子そろってそれぞれの思い出に浸れる珍しい私設博物館です。

    讃美の山
    乙女峠に佇むマリア聖堂
    長崎浦上村のカトリック信者3千4百人以上を改宗させるため、幕府は津和野へ人を送りこみ、乙女峠にあった光琳寺に収容、厳しい迫害を加えました。明治6年(1873)に信教の自由が認められ、帰国するまでに36人もの信者が殉教死しました。後年、津和野教会のパウロ・ネーベル神父により、廃寺となった光琳寺境内にマリア堂が建立され、殉教者の霊を慰めています。

    柔和な表情を見せる永明寺
    永明寺は吉見、坂崎、亀井の各藩主歴代の菩提寺です。境内に、盛時は七堂伽藍を誇っていたことが忍ばれる巨大な本堂があります。度々の火災で本堂を消失し、現在のものは安永8年(1779)に建てられ、仮普請のまま現在に至ったもの。茅葺きの屋根もその名残と思われますが、巨大な建物のわりに穏やかな表情を感じるのは、瓦ではなく茅のせいなのでしょうか。境内には森鴎外の墓所もあります。

    日本に唯一の太鼓谷稲成神社
    極彩色の社殿と1200本もの鳥居が参道に林立し、背景の山から浮かび上がって見えるのが、城山の聖地太鼓谷に建立された稲成神社です。「いなり」は漢字で3通りの書き方があるようです。代表的なものが全国に3万有余社もある稲荷、次に22社の稲生、そして唯一のここ稲成。太鼓谷稲成神社は日本大稲荷の一つでもあり、近隣はもとより、中国・四国・九州からも多くの参詣者が訪れます。

    馬が駆け抜ける鷲原八幡宮
    鎌倉の鶴岡八幡宮に倣って建てられたという鷲原八幡宮。本殿への参道と交差するように長さ250メートル、幅27メートルの馬場が残り、中央には、縦に長い一条の堤があって、矢を射る的場も3ケ所あります。桜が満開となる頃の4月第2日曜日には、この馬場において流鏑馬(やぶさめ)の神事が行われます。

    邸内に広がる見事な堀庭園
    中心街から、やや離れていますが、足を延ばすに値する見事な庭園があります。城郭のような石垣に、広大な屋敷が周囲を圧するほどの存在感をはなつ堀家。笹ヶ谷銅山を年にわたり経営してきた幕府直轄の天領家で、客殿の楽山荘は数寄屋造りの粋を集めたもので、池泉を配した広大な庭園は、見事な景観を造り出しています。

    新スポット
    新・津和野を予感させる間欠泉
    新たな観光資源として、今、最も注目されているのが、温泉掘削中に突如、37度の温水を吹き上げた間欠泉。その高さはなんと日本一の55mです。塩分を含んでいるため、周辺の田畑に被害を及ぼす恐れのない風のない昼間に限って、吹き出し口上部の覆いがはずされ、間近でその圧巻が眺められます。現在、町では活用方法を検討中ですが、凄まじい音と水圧は、これだけでも見ごたえ充分。地球は生きているんだと実感させてくれます。

    郷土の産
    紙布織の店、生地屋
    和紙を細く切り、よりをかけた紙糸で織り上げたものが紙布です。触ってみると意外に柔らかく、しかも丈夫で、平安時代から衣料として用いられていたこともうなずけます。生地屋には紙布を用いたランプシェード、コースター、人形などいろいろな生活雑貨やみやげ物が、店内を飾っています。古橋里見さんは、ご夫婦で紙布織の店を自力開店、和紙が持つ素朴な風合いを生かしたもの造りに精を出されています。

    ひと味違う津和野の郷土料理
    見た目は素朴ながら、作り手の粋を感じるのが津和野の郷土料理と言ってもよいのではないでしょうか。「あおき」のご主人青木孝志さんに2品を紹介いただきました。まずはうずめ飯。「うずめ」とは「埋める」の意で、具を上から白いご飯で見えないよう埋めて、すまし汁をかけたもの。家庭ではお客を招き酒を傾けた後、最後にこのうずめ飯を振る舞ったそうです。続いて芋煮。鯛を火であぶり、ほぐした身だけで作った出し汁で、青野山の肥沃な火山灰で育った柔らかい山芋を煮たもの。どちらも津和野ならではの心あたたまる料理です。

    山陰の小京都、津和野を豊富な写真で紹介
    http://arp-design.com/culture/tsuwano.html

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    | 島根 | 16:52 | - | - | - | - |