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文化分解

デザインの世界でひたすら走り続け、気がつけば恐ろしや早くも三十有余年にもなる。文化と経済は車の両輪と云われながらも、わが日本では文化は未だに経済の脇役に甘んじ、心の豊かさや生活の潤いは暗中模索の只中にいる。このプログでは、少々の脱線は予測されるものの、文化を基軸にしたものにしていきたい。
座かんさい月例会+地球研市民セミナー
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    毎月第3金曜日は、ものづくりの仲間が中心となって設立した「座かんさい」の月例会になっている。ところが、かねてより是非参加したいと考えていた地球研(総合地球環境学研究所)の市民セミナーも同じ第3金曜日に開催されることが多く、これまで何度も聴講できずに悶々としてきた。今回の「座かんさい」の例会日がまたしてもバッティングしていた。しかしながら、月例会がたまたま今回に限り場所を大阪から京都に移しての開催であったことから、密かに一計を案じ、例会の議題に市民セミナーを組み込んだプランを立ててみたところ、幸運にも実施の運びと相成ったのである。
    その月例会兼市民セミナー聴講が昨日19日、京都の丸太町であった。地球研のセミナーのテーマは「捕鯨論争−21世紀における人間と野生生物の関わりを考える−」。面白いテーマと自分では思いながらも、メンバーはどうであろうかと遠方の京都開催であることも加わって参加率が心配であったが、ふたを開ければ、セミナー後の例会と懇親会に予定した食事の店をほぼ貸し切り状態にしてしまう程の大盛況となった。前日までは台風直撃の心配もあったものの、当日は持参した傘を一度も開くことのない天候に恵まれたのもラッキーであった。
    さて、捕鯨論争をテーマとしたセミナーは、地球研副所長の秋道智彌氏とグリーンピースジャパンの事務局長星川淳氏の基調講演の後、お二人の対論という構成。我々一般人には知らされていない調査捕鯨の実態が知らされる。えーっ、日本は年間1千頭以上も捕殺しているの!しかも船内で解体処理され、あらかじめきちんと印刷された鯨肉のパッケージに詰められる。それを売って、次年度の調査捕鯨の事業費に充てるとか。調査を続ける事業費捻出のための1千頭に思えてしまう。陸上のほ乳類であるゾウやチンパンジーの調査で1千頭も殺したという話は聞いたこともない。調査は殺さなければできないものなのか。胃袋の中身を調べるためにとか、殺さないと年齢が分からないと言うことも鵯千頭という数字では説得力を欠く。
    ここ世間を震撼させている事故米の恐怖の中にあって、長年にわたって続けられている調査捕鯨にも何かの政治力が働いているのか、特定の人間の意地や利権で続けられているのか、首を傾げるばかりである。
    2次会での、皆に美味い!と好評をいただいた銀シャリと焼き鳥の店、たまたま妻が見つけてくれた店だが、その店のメニューの焼酎リストに何本も引かれた字消しテープが、調査捕鯨とオーバーラップして見えたのは私だけだったろうか。

    捕鯨論争
    会場で配られた資料の表紙




    | 文化 | 16:28 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    人はヒトとして自然なのだろうか
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      幸いにも自分は戦争の苦難を体験することなく生まれ、青春時代を日本の高度経済成長とともに歩んできた。オイルショックやバブル崩壊も戦争とは見比べるほどもない。しかしこれまでの和平は、将来をも約束するものではないことも確か。近年、地球温暖化や食料・資源の枯渇の危機が叫ばれ、ニュースでも高い関心をもって報じられるようになってきた。現在、地球にストックされている食料は55日分しかないとか、人類がこのまま増え続けてしまって80億人に達すると滅亡の危機に至るともいわれている。われわれ戦争を知らない世代がこれまで安穏と送ってきた生活の、ひょっとしてほんのすぐ先に戦争をはるかにしのぐ想像を絶する大きな試練と苦難が待ち構えているかもしれない。
      人間は、これまで地球を人間サイドから見過ぎてきた。地球サイドから見れば、人類の誕生こそは地球にとって不幸であった。他のほ乳類はもちろんのこと、あらゆる動物、植物に至るまで、かつて自然を支配しようとするものなどいなかった。各生物は自分の子孫を残すために凄まじい生存競争はするものの自然の摂理に逆らうことはなかった。ヒトが誕生して、わずか1万数千年しかたっていないが、生物の中には億年単位の時代を生き続け、今に至っているものも多い。クラゲやイソギンチャクのような、人間からは下等と見られている生物がしかりなのだ。途方もなく長い時代を生き抜き、今に至っているということは、それだけの強い生命力と自然と共生できる対応のすべ(広い意味での文化といえるのだろうか)をそなえ続けてこられたからに他ならない。人類が近い将来、滅亡の危機に瀕したととしても、おそらくこれらの生物はなにくわぬ顔で生き続けていくに違いない。

      今月の23日の祝日、NHK BShiのPM8:00から9:30の90分番組がある。昨秋、わが協会のイベントで講演をお願いした日高敏隆先生の特別番組と聞いた。長年にわたって日本の動物行動学を導いてこられた先生の発言に注目したい。
      ネクタリン
      桃を小さくしたようなネクタリン/©COPYRIGHT Naoki Tatematsu


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      | 文化 | 01:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      情けない企業風土
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        情けないというか、腹が立つというか。エンドユーザーのことをまったく考えていない。
        先月の盆休みは気がかりのあまり予定よりも早めに帰郷。かねてより腰痛を訴えていた母の具合が、やはり尋常ではないことがわかり、病院に連れていったところそのまま入院となってしまった。
        ことの発端はこうである。
        先日、京都の自宅から車をとばして病院に様子見に行った折、母から近々に銀行で現金出金してきて欲しいと頼まれたことからはじまる。
        今日、長男である私が代理として引き出すために必要なものは何かを聞くため、引き出そうとしている病院近くの○△支店に問い合わせることにした。ホームページを開き、支店案内から該当の支店の電話をメモって早速かけた。
        そうすると、電子音声による案内がはじまった。単調な音声を辛抱強く聞いて、ようやく最後のあてはまるであろう「9」のボタンを押した。やはり、「ただいま大変混みあっています・・・・」。で、ようやく生の女性の声が応えた。すぐさま用件を伝えた。すると「お引き出しはどこの支店を予定されていますか?」と聞いてくる。あのね、私は支店の電話番号をわざわざ調べてかけているんだよ、と言いたいのを我慢して、「支店によって現金の引き出しの手続きが違うのですか」と返す。そんな違いがあってなるものか。人様のお金を預かっている大銀行ではないか。相手はたじろいで何かよくわからない御託を並べ立てだした。私を盗人とも疑っているのではないだろうか。「しばらくお待ちください」と保留状態にされる。再びつながっても、またよくわからない返答。あ~あ。そして2回目に保留状態から開放されると、「○△支店におつなぎします。」あきれるばかりである。○△支店にかけたのに、それを全国をカバーするコールセンターの金融知識のない素人が出て、こちら通信費持ちの電話で10数分の無駄なやり取りの末、ようやく本来の○△支店の担当員が受話器に出た。ことは2分とかからなかった。
        合併を繰り返し、今や日本最大となった銀行にかつての日本のよき企業風土はどこへ消えてしまったのだろうか。残念である。





        | 文化 | 15:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        日本人が育んできた精神性や独自の文化と床柱
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          昨日は、私達ものづくりの集まりのメンバーの一人、中田明氏と世界的な工業デザイナー喜多俊之氏との対談「北山杉のお話」が大阪・天満橋であり、早速、出かけて行った。
          中田家は、代々、京都・北山杉を精魂傾けて育てあげ、床柱で知られる北山丸太として世に送り出してきた。その床柱の需要は最盛期であった高度経済成長時代を経て下降を続け、新たな活路への模索が続けられている。喜多俊之氏による北山丸太とリサイクルアルミを使用し開発されたベンチは、イタリアなどの欧州において高い評価を得、家具としての新たな可能性を探り得たひとつの成果と言える。
          お二人の昨日の対談を通じ、自らの住まいあり方を振り返らされた。
          日本人が育んできた精神性や独自の文化は、床柱の需要と時を同じくするように高度経済成長期を境に次第に失われていったようだ。かつての日本は、個人よりも家族が中心であり、一つ屋根の下に二世代、三世代、時には四世代が同居し、親戚縁者とも強い絆で結ばれていた。お祝い事や法事ともなれば、何をさておいても一同が一つの家に集まって同じ空間と同じ時を共有しあった。また、住まいする地域内の家同士の結びつきも強く、さまざまな行事が年間を通じて行われるたびに相互扶助の精神が養われていった。当然、家への来訪者も日常的であり、そんな人々との交流の中で、訪れる人々を迎える場である居間は、存分に機能が働いていたのだ。現在の“もぬけのから”となったリビングルームとは大違いである。居間の象徴である床の間は、人を迎える目的に応じて掛け軸や生け花、そしてさまざまな小道具によって多彩な演出がなされ、迎える者の思いや心配りを表した。床の間にすえられた床柱は、視覚的な方向性や緊張感を造り出す重要なエレメントでもあった。
          今日の住まいは、核家族化してしまった一家族中心の住居となり、大画面液晶テレビによってメディアに心を奪われしまった。大半のリビングの家具配置は、テレビ中心でレイアウトされてしまっているのが現状だ。
          殺伐としたニュースが頻繁に流れる時代にあって、今一度、かつての古き佳き日本の精神性と文化を取り戻し、盛んに人々の交流を生むライフスタイルを取り戻すことが大切ではないかと。それは本来の居間、床の間の復活であり、しいては床柱の需要とも符合するのではないだろうか。
          今回の対談は、はなはだ短絡的ではあるが、日本の伝統文化である床の間の復活が、心豊かな生活への第一歩ではないかと感じてしまうほどの内容であった。

          北山杉
          北山杉



          | 文化 | 13:17 | - | - | - | - |
          ヴェクシェーに木の国・日本がある
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            今、「宮大工西岡常一の遺言」を読んでいる。先月末、神戸に遊びに行った時にトイレを借りた書店で思わず買ってしまった本である。薬師寺の伽藍復興に六十歳で棟梁を引き受けた西岡常一さんいわく、コンクリートや鉄、ガラスが主流の現在にあって、樹齢千年の桧には千年の命があると、かつての木の国・日本を寺院建築でよみがえらせた人ともいえる。先日、スウェーデンのヴェクシェーという小さな町ですすむ環境にやさしい取り組みを知った。全エネルギー消費量に占める再生可能エネルギー*がすでに50%を超え、冬の暖房エネルギーに限ってはなんと90%とか。衝撃的なのは、8階建ての完全木造住宅。エレベータも木造である。部屋ごとにスプリンクラーを設置しているようであるが、外部からの火には無防備ではないのだろうか、消防法はどうなっているのだろうか等といらぬ心配をしてしまう。3階建ての木造住宅建設もままならぬ日本に住む私には、及びもつかぬことではあるが、その8階建てを見ているうちに、思わず復元された薬師寺西塔とオーバーラップしてしまった。これからの地球を考えるとき、既存のエネルギーが枯渇する前に木の国・日本が違った意味で求められてもいいのではないだろうか。


            *再生可能エネルギーエネルギー(Renewable Energy)とは、
            自然界に存在するエネルギー流に由来し、かつ自然界の営みによって利用するのと同等以上の速度で再生されるエネルギー源(またはそこから発生するエネルギーそのもの)を指す(再生されなければ、定義から外れる)。 単にREと略されることもある。資源を枯渇させずに利用可能であるため、枯渇性燃料が持つ有限性への対策、地球温暖化の緩和策、また新たな利点を有するエネルギー源などとして、有効性と必要性が指摘され、近年利用が活発化している。
            (出典:ウィキペディアによる)
            | 文化 | 11:52 | - | - | - | - |
            記憶の入った引き出し
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              先日、松下電器在職中に仕入れ先の営業責任者であったMさんに24年ぶりに再会した。2年ほど前に私のオフィスに電話をかけてきていただいたものの、その時は多忙な時期と重なり、そして、いつしかお会いするタイミングを逸してしまっていた。その時の後悔もあって、2年前から交わすようになった年賀状に、ぜひ今年こそお会いしたいとの一言のメッセージを出したところ、すぐさま応えていただけた。
              私は、妻に言わせればすぐに忘れるタイプ。確かにそうだ。幼稚園時代はおろか小学校、中学校時代もほとんど覚えていない。ずっと下って、松下電器時代も同じ職場であった人たちの顔はおぼろげながら思い出せるのにその名前が出て来ない。逆に名前は覚えていても顔がまったく思い出せない。かなりの重傷た。ところが24年ぶりに再会したMさんとの思い出話に華が咲くと、不思議や不思議、会話を交わすうちに次から次へと忘れていた人の名はもちろん、あの時、こうなってこうしたとか、やたら詳細なことまで思い出してしまったのである。そういえば、あるテレビ番組で、人が歩んできた記憶は脳のある部分の引き出しにちゃんとしまってあるのだが、歳とともにその引き出しを見つけることができなくなってしまう。そこに何らかの刺激を与えてやると、その引き出しを見つけられるバイパスができ上がるとかなんとか。今回の終電車にまで乗り遅れてしまった5時間以上にもおよぶ会話は、その引き出しを次から次に開ける大きな刺激となったに違いない。
              最近、巷では同窓会流行りとか。ご多分にもれず、わが愛知県立瑞陵高校の同期もその同窓会にはまっている。高校卒業以来の再会は、まさに前述のごとく、忘れてしまっていた引き出しを開けて中身を久々に見せてくれる機会を与えてくれるのだ。
              ボケ封じにこれほどの特効薬はないかも。これからのセカンドライフでは部屋に閉じこもらず、大いに外出し、会話をすることが大事なことに違いない。



              | 文化 | 01:46 | - | - | - | - |
              A HAPPY NEW YEAR 2008
              0
                2008 new year
                モノクロームのゆらめく世界を映し出すフロストガラス。それは、あふれる好奇心に時を忘れて見続けた幼い頃の微かな記憶につながる。心底から美しいと感じたことからクリエイティブへの第一歩が始まった。歳を重ねる内に情報を収集し、分析、構築することに小賢しくなり、作為におぼれる自分が見え隠れしてきた。自らを見つめ、戒め、安易に時流に乗らない地に足ついた第二歩を探していきたい。
                | 文化 | 00:27 | - | - | - | - |
                真の協賛とは?
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                  今、起こりつつある様々な社会のひずみは一体、何に起因しているのだろう。企業倫理がはなはだしく欠如した会社がマスコミに取り上げられるたびに、将来への不安を予感させます。「経済と文化は車の両輪」と言われながらも、残念ながら経済優先の論理が中心にある日本経済。そのありようを変えるためにも、日本の良き伝統、良き文化を学び、見直し、文化を通して社会貢献する企業が増えていって欲しいものと願う次第です。

                  現在、私の所属する(社)日本建築美術工芸協会の関西支部において、支部設立後、まだ2年足らずではありますが、文化を通した社会貢献をしていこうと会員のボランティアにて様々な活動を開始しつつあります。支部設立2周年を記念した文化イベントの開催もその一つで、沈滞化する関西の文化の再生、活性化に幾ばくかでもお役に立とうと、シンポジムあり、文化講演あり、室内楽のコンサートありの盛りだくさん内容とし、しかもその出演者は第一線級の人ばかりという贅沢なもの。あと2ヵ月に迫った今はそのための準備に余念がありません。
                  イベント実施にあたり、多くの方々に来場いただくためには入場料を下げ、間口を広げることが必要で、そのための企業協賛は不可欠です。しかしながら、自らかかわって驚いたことは、協賛は一切受け付けない大手企業が意外にあること。イベントの内容は関係なく、会社の方針と言われれば、話は前に進みません。それでも捨てる神あれば、拾う神あり。文化を通じた関西の活性化への活動に賛同して協賛に名を連ねて頂いた会社も大小問わず現れ、見通しがようやくつきかけて企画してきた者として、一息つかせていただきました。
                  そんな感慨にふけっていた今朝、自宅を出るときに、ふとピアノの蓋に置かれたコンサートチラシが目につき、手に取り裏をめくってみると、何と半分ほどのスペースを割いて協賛企業のオンパレード。その数30は下らず、大手企業もどっさり。自分が携わるイベントの協賛企業数とは雲泥の差にショック!さらに出演者がうら若き姉妹のみであることに二重のショック!なぜにこんなに協賛の数が違うのか?チラシをよくよく見てこれかと感じしまったのは、主催者が自治体の公的有望?機関であったこと。うーん、つらい、寂しい、残念、無念。文化を蓑にした経済優先の論理が働いているとは思いたくない!





                  | 文化 | 12:36 | - | - | - | - |
                  大晦日のフセイン元イラク大統領の死刑執行
                  0
                    2006年最後である大晦日の日、朝刊の第一面にフセイン元イラク大統領の死刑執行の大見出し。来年の世界情勢に大きな影を落とすと思われる何とも後味悪いニュースである。
                    イラクは世界最古の文明であるメソポタミア文明発祥の聖地。かつての世界の中心であったところである。シルクロードを通じて多くの人と物資が交わり、文明が発達し、様々な文化が芽生え、累々と濃厚な歴史を刻んで来たイラクは、来年、どんな歴史を刻むのであろう。イラクの人々に笑顔が戻ってくるのをただただ願うばかりである。音楽を愛し、美術を愛したあのメソポタミアの時代のDNAは今も残っているはずだ。2006年12月31日
                    | 文化 | 13:11 | comments(0) | - | - | - |