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文化分解

デザインの世界でひたすら走り続け、気がつけば恐ろしや早くも三十有余年にもなる。文化と経済は車の両輪と云われながらも、わが日本では文化は未だに経済の脇役に甘んじ、心の豊かさや生活の潤いは暗中模索の只中にいる。このプログでは、少々の脱線は予測されるものの、文化を基軸にしたものにしていきたい。
二十四の瞳の小豆島
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    小豆島バス

    小豆島を写真付きで紹介→arpのHPへ

    小豆島

     

    瀬戸内海の星の数ほどある島々の中で、淡路島の次に大きな島が小豆島です。全島が山がちで、変化に富んだ海岸線に囲まれ、動物にたとえると牛のような形をしています。お腹のあたりに位置する星ケ城山は、瀬戸内の島々の中で一番高い山で標高817メートル。美しい渓谷美を見せる寒霞渓へと連なっています。また、小豆島と言えば「二十四の瞳」を思い描く人も多いのではないでしょうか。原作者の壷井栄(1889〜1967)は、この島の内海町坂手出身で、今年、生誕百年を迎えます。上陸の第一歩は、後ろ足の付け根にあたるこの坂手港からはじめます。

    ■坂手港から草壁港
    海が見える二十四の瞳映画村
    昭和29年(1954)と昭和62年(1987)の二回、映画化された「二十四の瞳」は、岬の分教場に赴任した大石先生と十二人の教え子の物語で、上映されるや一躍小豆島の名を全国に広めました。舞台となった分教場は、初回の映画では苗羽小学校田浦分校が、再映画化ではオープンセットが使われました。二十四の瞳映画村は、このオープンセットを整備、充実したもので、大正から昭和にかけての小さな村の町並みが再現されています。映画村の一番奥に分教場のセットがあり、教壇に向かって並べられたかわいい机と椅子からは、当時のぬくもりが伝わってきます。海岸と隣り合わせの運動場には、レトロなボンネットバスが置かれ、穏やかな海の見える景色とともによりいっそうノスタルジーを感じさせてくれます。
    (二十四の瞳映画村/内海町田浦 TEL0879・82・2455)

    良質の塩から産まれた醤油
    温暖な気候風土の小豆島では古くから製塩が盛んに行われてきましたが、江戸時代後期には生産の過剰を引き起こしました。そこで良質の塩を生かせる新たな産業として、紀州湯浅から醤油製造技術を学びとり、寛政年間(1789〜1801)に醤油産業が誕生しました。坂手港から草壁港への県道沿いは醤油や佃煮工場が軒を並べ、醤の郷とよばれています。わが国四大ブランドの一つマルキン醤油もその一角を占めています。マルキン記念館では、創業明治40年(1907)からの歴史をはじめ、醤油づくりの解説や醸造に用いられた道具類を見学することができます。記念館の建物内には、かつてもろみを搾る圧搾機が五、六十台も設置されていたそうで、文化庁の有形文化財に登録されています。
    (マルキン記念館/内海町苗羽 TEL0879・82・0047)

    醤油から産まれた佃煮産業
    小豆島において、戦後、目覚ましい発展を遂げたのが佃煮産業です。その発端は昭和20年(1945)、さつま芋のつるを使った佃煮からで、今や昆布と海苔の佃煮は全国シェアの約30%を占めるほどに成長しました。マルキン記念館から県道を南に300メートルほど下がった水車が目印の建物が、宝食品の佃煮販売所、京宝亭。昆布は北海道から、海苔は伊勢志摩、四万十川から採れたものを用い、地元の良質の醤油でコトコトと炊き上げます。
    (京宝亭/内海町苗羽 TEL0879・82・1441)

    風呂敷包みの「野の花」弁当
    ホテルの厨房で腕を磨いたご主人が、息の合った奥さんと二人三脚で切り盛りするのが、創作料理「野の花」。和洋中にとらわれることなく、小豆島ならではの季節の食材を生かした料理は自由な発想で作られます。とりわけ昼のメニューの「野の花弁当」は、ご夫婦の共同作品とも言える料理です。炊き込みごはんが入った重箱の上に、十四種もの総菜をちりばめた重箱の二段重ねで、食卓には風呂敷に包まれて出されるという凝った趣向の弁当です。オプション料理としてのお薦めが素麺サラダパスタ風。特産の素麺をスパゲティ風にかた茹でし、にんじんとオリーブ油をベースにしたドレッシングで楽しむサラダです。ほどよく酸味が効き、のどごし爽やかなサラダです。通常、出汁につけて食べる素麺もこんな食べ方にアレンジされると新鮮です。
    (野の花/内海町安田 TEL0879・82・6077)

    ■草壁港から土庄港
    オリーブの故郷、オリーブ公園
    草壁港から海岸沿いの国道436号を行くと、右手にオリーブ並木が車窓に入り、さらに進むと山麓にもオリーブの木々が目立つようになってきます。標識に従って右に折れると、小豆島オリーブ公園内へと導かれていきます。園地は日本で初めてオリーブ栽培に成功したゆかりの地で、明治41年(1908)のこと。ギリシャの神殿を思わせる列柱が特徴のオリーブ記念館は、約8ヘクタールの公園の中心的施設。その記念館を中心に約二百種のハーブを栽培するハーブ園、モニュメント的存在のギリシャ風車、温室仕立てのハーブガーデン、ハーブクラフト館ミロス等が配されています。記念館二階で、摘みたてのハーブを用いたハーブティーの香りと味を楽しみながら、瀬戸内海の真珠とうたわれるにふさわしい眺望が満喫できます。
    (オリーブ公園/内海町西村 TEL0879・82・2200)

    民俗資料館とオリーブビーチ
    オリーブ公園と国道をはさんだ海岸よりに小豆島民俗資料館があります。島の歴史やありし人々の生活を垣間見ることができます。資料館の眼前は、大きく入り込んだ内海湾で、瀬戸内海を行き来するフェリーなどの避難港に指定されている穏やかな入り江です。その湾に抱かれた海水浴場がオリーブビーチで、サマーバケーションに最適のスポットです。
    小豆島民俗資料館/内海町西村 TEL0879・82・5020)

    小豆島の味の二品、甚助茶屋
    小豆島で最も古い海水浴場が土庄鹿島海水浴場。シーズンともなると、カラフルなパラソルが花盛りとなり、この時ばかりは歓声で潮騒もかき消されるほどになります。そんなにぎやかな雰囲気が似合う店が、甚助茶屋。鹿島海岸から目と鼻の先にあり、小豆島特産の素麺など、お昼時に手軽に利用できる店です。この島ならではの料理を二品紹介しましょう。まずは素麺の巻寿司。芯に通常の巻寿司と同様、あなご、玉子、かまぼこなどを用い、海苔で巻いたものですが、違うのはご飯の替わりに酢の下味がついた素麺を使っていること。外見はふつうの巻寿司ながら、食べて違いが分かります。素麺ののどごしの軽さがずいぶんと違う食感を生み出し、食の進む料理です。続いて小豆島で古くから残る「わりご弁当」。300年の歴史をもつ小豆島の農村歌舞伎は、盛時は島内に二十数カ所もあったと言われています。その見物に「わりご弁当」は欠かせないものでした。各家庭では長方形を斜めに切り落としたような台形の弁当箱に、ご飯やおかずを詰め、しょいごと呼ぶ運搬具に入れて出かけたとか。一杯やりながらの野外で食べる味は格別だったことでしょう。甚助茶屋では、これを今風にアレンジし、店のメニューに加えています。
    (甚助茶屋/土庄町鹿島 TEL0879・62・6355)

    素麺づくりに使われるゴマ油
    平和の群像が出迎えてくれる小豆島の西の玄関土庄港には、潮に香ばしいゴマの香りが折り重なるように漂っています。その香りの主が、岸壁に延々と工場や沈澱用タンクを連ねるかどや製油。小豆島のゴマ油づくりは、特産の素麺と深い関係があります。昭和49年頃に起きた自然食品ブームで、小豆島では素麺の原料である小麦粉を無漂白のものにし、その麺を延ばす際のナタネ油をゴマ油に切り替えました。かどやのゴマ油は、化学的精製をせず、約二週間、手間ひまかけて作り出されています。目前では、神戸の倉庫からきた運搬船が工場に直接接岸、ゴマの種子が入った大きな袋を次々に運び入れています。

    ギネスに認定された土渕海峡
    土庄港の入り江から、さらに南へ深く入り込む水路は、一見川のようですが、実は土庄町の前島と渕崎地区に挟まれた世界一狭い海峡です。土庄町役場前の橋が架かる海峡の幅はわずか9.93メートル。役場では、この土渕海峡を渡った人に記念の横断証明書(100円)を発行しています。
    (土庄町役場商工観光課/土庄町本町 TEL0879・62・7004)

    森のように見える巨木の真柏
    土庄港から少し足を延ばした宝生院には、樹齢1500年の真柏が旺盛な樹勢を誇っています。周囲16.6メートルで、地上1メートルの所から幹が三方に分かれ、巨大な木陰を作っています。応神天皇のお手植えと伝えられ、特別天然記念物に指定されている日本唯一の真柏です。

    ■小江から福田港
    小豆島最大の漁港、小江漁港
    ひなびた漁村の面影を残す小江漁港。漁を終えた日中の漁港は、かすかな波打ちの音だけが響く静寂の中に包まれています。漁船は家に似た三角屋根の船室をそなえ、一見、屋形船を思い起こさせます。小豆島の穏やかな気候風土が家の形を造り出したのでしょうか。この小江漁港、小豆島では一番の漁獲高を誇っています。

    残念石の大坂城残石記念公園
    大坂冬の陣、夏の陣で落城した大坂城を修復するため、徳川幕府は西国大名に命じて、石垣用の石を切り出させ、大坂城に運搬させました。小豆島には、20カ所以上の採石場があったとされています。土庄町小海にも採石場跡が残り、運搬されずにそのまま海岸べりに放置された石が残っています。石垣に使われなかったことから、地元では残念石とよばれています。大坂城の細川忠興が普請した石垣石の刻印が、この地に残る残石と一致したことから、豊後小倉藩主の細川家の採石場跡と判明しました。これら残石群を後世に伝えようと、この春、道の駅・大坂城残石記念公園がオープン。石丁場や残石に関する歴史、採石に用いる道具、運搬具等が展示され、石の町小豆島の新しいスポットとなっています。
    (大坂城残石記念公園/土庄町小海 TEL0879・ 65・2865)

    温泉のあるオートキャンプ場
    福田港から北よりの吉田川に、洪水調節や生活用水の確保等を担う吉田ダムが白い堰堤を見せています。その下流を数百メートル下った河岸一帯が、今年4月にオープンしたばかりの小豆島オートビレッジYOSHIDA。開設以来、京阪神からも多くのキャンパーを集め、オートキャンプ場として、55のキャンプサイト、グラウンド、ふれあい広場、ゲートボール場が吉田川両岸に広がっています。海に近く、奇岩怪石が露出する風光明美な土地にあるキャンプ場の目玉施設は、何と言っても天然温泉。ラドンの含有量が多い効能にすぐれた温泉で、一度に20人ほどが利用できます。家族、若者を問わず心ゆくまで自然とのふれあいを満喫できるニュースポットです。
    (小豆島オートビレッジYOSHIDA/内海町吉田TEL0879・61・7007)

    小豆島を写真付きで紹介→arpのHPへ

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    | 香川 | 01:41 | comments(0) | - | - | - |