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文化分解

デザインの世界でひたすら走り続け、気がつけば恐ろしや早くも三十有余年にもなる。文化と経済は車の両輪と云われながらも、わが日本では文化は未だに経済の脇役に甘んじ、心の豊かさや生活の潤いは暗中模索の只中にいる。このプログでは、少々の脱線は予測されるものの、文化を基軸にしたものにしていきたい。
城下町の色彩が色濃く残る小京都・津山
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    周囲が山の岡山県津山市は、旧美作国の政治・経済・文化の中心として、 また大和と出雲を結ぶ出雲街道の拠点として栄えてきた町。 美作の名が歴史に登場したのは、奈良時代の和銅6年(713)、備前国から分立して美作国が新設されたことにはじまります。名の由来は、甘酒説、美真坂説、水沼栄える説、備朔説など諸説紛々。「みまさか」と読む不思議の国、城下町津山を訪問します。
     
    プロローグ
    「美作の小京都」津山へのアクセスは、JR岡山駅から北上する津山線を利用します。岡山駅を出て、3つ目の駅を過ぎたあたりから、列車は急に奥深い山あいへと入り、車窓には心安らぐ日本の原風景がゆっくりと流れてきます。ゆられること1時間余り。忽然と視界が開けると、前方に都会ならではの建物群のシルエットが目に入ってきます。ここが四方の山に抱かれた津山市で、瀬戸内海側の岡山と日本海側の鳥取を直線で結んだほぼ中間に位置しています。今回の訪問地は、旧城下町として知られる美作の小京都「津山」です。

    ご城下めぐり
    JR津山駅から吉井川にかかる今津屋橋を渡り鶴山通りを北へすすんで行くと、まもなく右手前方に緑のこんもりとした鶴山が見えてきます。かつてこの山には幾重にも曲輪を張りめぐらせた壮大な津山城がそびえていました。築城したのは、あの本能寺の変で織田信長に従い討死した森蘭丸の弟で、初代津山藩主森忠政です。忠政は城郭の防衛に心をくばり、城下の多くを武家屋敷で固め、出雲街道沿いに町人街を、町の東西の外郭には寺社を配しました。まずは武家屋敷が残る城跡周辺の選り抜きスポットを訪ねます。

    鶴山公園は兵どもの夢の跡
    慶長8年(1603)、徳川幕府より美作19万石に封ぜられて入国した森忠政が、まず取りかかったのが築城でした。慶長9年からはじめられ、13年もの歳月を費やして津山城は完成。五層の天守閣を頂点として、本丸・二の丸・三の丸が鶴山全体を取り囲み、規模としては32万石の岡山城に匹敵するかそれ以上の巨城でした。しかし、明治8年(1871)に廃藩となるや、廃城令によって3年後の明治7年に取り壊されてしまいました。幸い城郭主要部の石垣は残り、現在は鶴山公園として津山市民憩の場となっています。桜名所百選にも選ばれている桜の名所でもあります。


    美作を知る津山郷土博物館
    津山城跡のすぐ南に津山郷土博物館があります。市役所であった建物を整備し、昭和63年に開館したもので、館内では地質時代から現代に至るまでの津山の歴史と文化が紹介されています。特に森家の後を継いで藩主となった松平家所用の輿や篤籠、1500万年前の奇獣パレオパラドキシアの骨格復元模型、古墳時代の地層から発掘された珍しい陶棺、150分の1の津山城復元模型などは貴重な展示資料となっています。

    年賀切手にもなった作州牛
    郷土博物館から西へ、ところどころに武家屋敷が残る田町界隈は、昔の城下町の面影をよく残しています。その町並みのなかに竹細工を店先に並べた津山民芸社があります。「津山の竹細工は、大正期に町おこしとしてはじまり、昭和初期から終戦にかけては大分と肩を並べるほどの産地でした。懐かしい竹製の玩具である体をくねらす蛇やバリバリと音をたてる機関銃は8割が津山で作られていたのです」と竹工芸のアーチストを名乗る白石靖さん。戦後、火の消えかけた津山の竹細工を復活させようと先代とともに守ってきた技が、津山を代表する作州牛となって結晶、昭和30年の年賀切手のモチーフにもなりました。首を左右に振り長閑な表情の作州牛のほか、今は十二支すべての動物を作られ、「他所にはないユニークなもの造り」を心情とされる白石さんです。

    朝ドラのロケ地、県立津山高校
    田町の北隣、椿高下にも武家屋敷が残っています。岡山県立津山高校は、その町並みの中にあり、昨年創立100周年を迎えた伝統校です。本館は、明治30年に建てられた美しい洋風建築で、NHK朝の人気ドラマ「あぐり」のロケ地にもなりました。

    京都・仙洞御所を模した衆楽園
    津山高校の北東方向に、2代目藩主森長継が京都から作庭師を招いて造らせたという衆楽園があります。京都御苑内の仙洞御所を模したものといわれ、一千メートル級の山々が連なる中国山地を借景にした池泉廻遊式庭園で、南北に長い池には4つの島が配され、風月軒や清涼軒などが趣のある風情を映し出しています。

    歴史街道
    津山城跡の南、市内を東西に抜ける旧出雲街道は、今もその道筋は変わらず市民の大切な生活道路となっています。鶴山通りから旧出雲街道を東に入るとまもなく宮川にかかる大橋に着きます。この橋を渡ると市が町並み保存に心血を注ぐ城東むかし町が広がります。江戸時代の街道の様子を彷彿とさせる家々の軒の連なりは、映画やテレビドラマの格好のロケ地となるほど。西から東に街道沿いの見所を巡ってみましょう。

    鶴丸の紋が印象的な京御門
    京御門と彫られた石碑、そして軒下には津山藩主森家の紋所である鶴丸が掲げられた店があります。この店の名は、「先代が和菓子造りの修行を積んだ京都と、鶴山公園の大手門あたりにあった京菓子御門という店の名を兼ね併せて作ったようです」と奥様。白あんに作州地方で多く栽培されている柚の風味を生かした桐襲という小ぶりの和菓子は代表的な津山の銘菓となっています。

    絵になる建物の苅田酒造
    千本格子や出格子、なまこ壁などの保存状態の良さに住み手のまごころがうかがえる宝暦8年(1758)創業の苅田酒造の建物。造酒屋ならではの酒銘看板や杉玉も掲げられています。銘酒諸白は、丹後山を源とする伏流水と岡山県産の酒米を用いて醸造。その特徴を専務の苅田善嗣さんは「津山は寒い土地柄で、酒の肴はキジやイノシシなどの鳥獣類ですから、酒もこくのある芳醇な味が求められています」と。苅田さんは本業に精を出される一方で、さまざまな文化企画も実行されています。消費者の方と一緒に米作りから酒造りまでを体験するイベントで、6月の田植えを皮切に、一年かけて清酒を造る試みは、器造りの陶芸教室にまで幅が広がり、家族ぐるみの参加者もあって楽しい恒例の催しとなりつつあるようです。

    小休止に最適な作州城東屋敷
    シンボリックな火の見櫓が印象的な作州城東屋敷は、街道沿いの家並みによく調和し、散策の小休止に最適なスポットです。建物横手「寅さんロケ地」の碑は、平成7年10月にここ出雲街道周辺を舞台に「男はつらいよ」シリーズ第48作の撮影が行われたことを記念したもの。また屋敷裏手のだんじり展示館には、江戸後期のだんじりをはじめ、8台が行儀よく並び、秋の例祭の出番を待ち望んでいます。

    小年期を過ごした箕作阮甫旧宅
    解体復元された町屋は、幕末の洋学者箕作阮甫が13歳までの少年期を過ごした生家で、国の指定史跡となっています。母屋、勝手、井戸、土蔵等からなり、江戸末期の町屋のたたずまいをよく残しています。21歳にして藩医となった箕作阮甫は、後、江戸に出てアメリカ使節ペリーやロシア使節プチャーチンが来航の際に外交文書の翻訳に携わったことで知られています。

    暖簾が似合う作州茶屋
    箕作阮甫旧宅と向かい合うようにして店を構えるのは、お休み処作州茶屋。暖簾をくぐると、作州牛をはじめ福むすび、ねり天神など津山の民芸品の数々が所狭しと並べられています。居間に上がって飲み物やくずきりソーメンが味わえるのも茶屋ならではの趣といえます。

    ここもロケ地、城東むかし町家
    江戸時代後期の商家としての格式を感じさせる旧梶村家住宅は、城東むかし町家と呼ばれています。邸内には、江戸時代から昭和初期にかけ建てられた計8棟が、約300坪もの広大な敷地内に配されています。岡山県立高校と同様にNHK「あぐり」にお目見え、望月組の住まいとして活躍しています。

    丈夫で長持ち作州鎌
    作州鎌は下草を刈るための道具として、今も機械で刈れないようなところに重宝されています。創業は元禄年間にはじまる鎌造りの技を今に受け継ぐ杉山為一さんは、「作州鎌は背にあたるむねを厚く残し、刃の部分を薄くたたくのが特色で、耐久力があってよく切れ、長持ち」と。真っ赤に熱せられた鋼の付いた鉄の板が、金槌で手際よく形を整えられていきます。作州鎌造りは今では出雲街道をはさみ、互いに槌音を響かせる2軒のみですが、根強い人気は変わらないようです。

    美しい木目が生きる鶴城彫
    津山には、彫刻を施した木工芸品が二つあります。鶴城彫と鶴山彫で、いずれも津山らしく鶴の冠が付いています。鶴城彫は、中国山地に多く産するトチの木やケヤキ材を用い、自然の木目を生かしながら手彫りの彫刻をほどこした工芸品で、代表的なものがお盆。民宿を営むすえひろでは、鶴城彫の実演が見学できます。一見単純そうに見えるお盆も、実は完成までに相当な工程を要します。鶴城彫に携わる代表者の須江達夫さんは、ほかに私設博物館として、みずから収集されたさまざまなコレクションも来られた方に公開しています。

    西寺町界隈
    藩主森忠政に従って美濃から来た僧侶が寺町を形成したといわれ、往時には24カ寺もの伽藍が軒を並べていました。今も15カ寺が残るこの界隈をのぞいてみましょう。

    西寺町で際立つ本源寺、愛染寺
    本源寺は、津山藩主森家の菩提寺で、外門から内門を経て境内に入りますが、かつては外門から中が境内で、内門までを広大な庭園が占めていたようです。本堂裏手には忠政とその家族の五輪塔がまつられています。通りの右も左も寺また寺という西寺町界隈を歩いて行くと、ひときわ異彩を放つ山門が目にとまります。愛染寺の仁王門がそれで、両袖に仁王像が安置され、2階部分は鐘をつり下げる鐘楼となっており、正保元年(1644)に造営されたものです。市内にはこの様な様式の山門は他に見当たりません。

    愛染寺
    元銀行の作州民芸館
    多くの寺院が集まる和風の町並みの中に左右シンメトリーの洋館があります。元は銀行を営んだ大正期の貴重な建物で、玄関を入ると、銀行であったことを物語る大きな木製カウンターがどっしりと構え、来訪者を迎えてくれます。今は津山の民芸品や郷土玩具などを紹介する作州民芸館として活用されています。無形の文化を守り続けてきた人々のプロフィールやその作品が体系だてて展示され、津山の民芸品の多さに改めて驚かされます。
    城下町の色彩が色濃く残る小京都・津山を写真付きで紹介
    http://arp-design.com/culture/tsuyama.html

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    | 岡山 | 19:44 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |